YEWの歴史HISTORY

横浜工作所100年のヒストリー
船舶修理の大きな難題と向き合い技術を磨き続けた100年。
世界中の船をメンテナンスし、万全の状態で大海原に送り出してきた横浜工作所の軌跡。

創業前後 1920年(大正9年)~1948年(昭和23年)

1920
横浜工作所創立
1920年(大正9年)6月、当時横浜船渠会社(現:三菱重工)で専務をしていた創業者の山田真吉(初代横浜工作所社長)が、戦後の恐慌で退職した技術者たちを集め、船舶修理技術の伝承と雇用の創出の為に創立。「お客様に喜んでいただけるために」の精神は今もなお受け継がれています。

大正時代の2代目横浜駅(横浜開港資料館所蔵)

創業した1920年(大正9年)における横浜市内の地図「神奈川区林町」ですが、後に「金港町」と名称が変わっております。(現在は横浜ベイクォーターが建てられています)

1946
二度の工場焼失を乗り越え事業再開
関東大震災、第二次世界大戦での横浜大空襲による二度の焼失を乗り越え工場を再開。その際に構内に引揚船台を設置し、従来の沖修理に加え、構内修理(ドック工事)も行えるよう事業を拡大しました。

焼け野原となった横浜市内(横浜市史資料室所蔵資料)

1948年(昭和23年)の労働組合創立1周年

1948
子会社「横浜鋳工所」を設立

船舶緊急修理における一点物の修理部品をいかに迅速に調達し、速やかに修理・復旧するかがお客様満足度を向上させるカギとなります。
修理に必要な機械部品の製作・販売を目的にキューポラ(溶解炉)型鋳物製作工場を創立、日本初と思われる溶解炉でのFCD製作(ダクタイル鋳鉄の一種で組織が球状の形をしており、通常の鋳鉄よりも靭性に優れた材料)による部品等の製作を開始しました。

横浜鋳工所 当時の様子

世の中の大きな動乱の中、さらなる成長を図る 1949年(昭和24年)~1999(平成11年)

1950~1975
朝鮮戦争、ベトナム戦争の中で
戦争でダメージを受けた艦船は他国で修理されることが多かったが、海外では直しきれないトラブルが多数発生していました。そこで当社の技術力の高さを聞きつけた米軍をはじめとした海外からの艦船修理依頼が殺到し、業務は多忙を極めました。

朝鮮戦争の際、米軍上陸用舟艇工事に携わる。

ベトナム戦争の半ば、1970年(昭和45年)に竣工した第二工作丸、約半世紀にわたる活躍後、現在では当社事業所正面に同エンジンが展示されている。

1986
陸上設備工事事業を開始
既存の上架・沖修理に加えて、陸上設備工事における諸機械や鉄鋼製品の製作、管工事部門の修理等の分野に進出するため、建設業許可を取得し、設備工事関係の事業を開始しました。

陸上プラント 沈殿池スカムスキマー取付

グラブパケット修理後積み込み作業

1990
横浜みなとみらい地区再開発により事業所を移転
横浜市「みなとみらい21」地区の再開発により、みなとみらい地区に繋がる幹線道路が通る構想となったため、事業所の移転を迫られることになりました。候補地のなかから現在の横浜市鶴見区生麦が選ばれました。移転に際しては、設備を拡充し近代化や合理化に努め、小型船の建造や修理・保守並びに、陸上諸機械の分野に関わることを再確認し、新たなスタートを切りました。

生麦本社工場着工前の写真

横浜市鶴見区に移転、完成した事業所は、引揚船台や船舶が横付けできる岸壁、屋外倉庫などを有する。

未来を見据え、幅広い時代のニーズと向き合う
目標は「横浜に新しい造船所をつくる」 2000年(平成12年)~現在

2014
横浜みなとみらい地区ぷかりさん橋修繕工事

ぷかりさん橋とは、その名の通り桟橋に店舗、休憩所が海上に浮いている観光スポットです。横浜市みなとみらい地区にありますので、ご存知の方も多いと思います。当社は浮桟橋の整備、設置、調整を担いました。

浮桟橋の整備工事の様子

2016
世界でも類を見ない2隻同時フローティングドック工法を実現
当社に隣接する鶴見運河の水深の問題により、喫水の深い船舶の修理・保守ができない点が課題でした。そこで、横浜市神奈川区内にあるプライベート岸壁を借用し、海上土木工事に使用されるケーソンドックを利用して、米陸軍・海軍の船舶を同時に2隻ずつ、計6隻をフローティングドック工法により完工致しました。型式の異なる2隻の船舶を上架しての修繕工事はおそらく世界初であると共に、当社の将来的発展を見据えた大きな取り組みとなりました。

おそらく世界初となる2隻同時上架してのフローティングドック工法を用いた船舶修繕の様子

2019
氷川丸の改修
国の重要文化財(歴史資料)に指定されている、横浜市の山下公園内に係留されている日本郵船氷川丸の改修工事を受注しました。氷川丸の建造当時の設計図は現存しておらず、当社の熟練技術者の経験と技術を頼りに作業が進められました。国の重要文化財である氷川丸の姿を次世代に伝える上で大きな役割を果たしました。

整備されたナビゲーションブリッジ(修繕前:左と修繕後:右)

油圧ホース製作・取付事業を開始
工事受注の際、追加要望が多かった油圧ホースの交換・取付に応えるため、純正メーカーのライセンス認定を受けました。油圧ホースを当社で製作し、取付までを一貫して行える体制を整えました。これにより納期の大幅な短縮が実現し、各種ホースが取り付けられている機器類の修理・保守も含めて担えるようになりました。今まで築き上げてきた経験に基づく現場の確認から製作、取付まで一貫した体制でお客様のご要望にお応えします。

当社で製作した油圧ホース

製作の為のライセンス証書

2021
事業拡大により、第四工場建設
メインの第一工場に加え、2004年(平成16年)に第二工場、2007年(平成19年)に第二事務所棟(現本社棟)、2015年(平成27年)に第三工場、2021年(令和3年)に第四工場と建設を重ね、時代のニーズに合わせて柔軟に対応できるよう設備を整えています。

第二事務所棟(現本社棟)

第二工場建設中の様子(2004年)

第四工場

第四工場内部の様子

PAGE TOP